「闘うレヴィ=ストロース渡辺公三平凡社新書) 感想文

マルクスを熱心に読むことから活動家の道を歩み始める、レヴィ=ストロースの十代の姿は新鮮に映った。文化人類学者、構造主義の最重要人物など、知識としては彼の偉大さを知っている。そこから練られた概念の援用にもよく出くわす。だが彼の個人史は、そういったものとは違うごく個人的な語りかけをもって、同じ青年である私との出合いを設けてくれている。エコール・ノルマルへの受験を諦めながらその集団の論客を担う立場にあった彼には、すでに身近なものの覆いを見透かす視座が備わっていた。その視座は鋭いが、ただ厳しいばかりではない。デアという友の躍動的な思考と文体に惹かれている彼は、最も親しい存在への批判や交歓を通じて、離れたものを見る冷静なまなざしと、手に触れるものへの親密さを育てたのだろう。近さの覆いを見抜く「闘うレヴィ=ストロース」の、異なるものに出会うときの彼の作法には、その覆いを奪ったものへの愛に満ちている。

頭が混乱しているので、140字以上の文章を書いてみることにする。昨日、夕方五時二十分に東京に着く新幹線に揺られて、妹と小学校のときの通学班の話をしていたら、もう岩室の中学校にはすでに彼女が入学時点で剣道部の部員募集はしておらなかったようで、二年次にはなかったと言っていた。これが五年前の出来事だが、僕は十四年前剣道部に在籍していたときの記憶を頼りに、顧問の渡辺先生を引っ張り出して口にする。妹はその先生の名前が頭の中に点ったようで、そうそうその先生がもうひとみが入学時点で七年だか八年だか勤めていなくなるからもう部員は取りません、ということになったんだと、話してくれていたのだった。妹が卒業する時点では俺が知っている先生は小林という体育の教師だけになっていたが、おれがいたときとは違った「こばT」だかいう名前で呼ばれていたので、親しさはぜんぜんわかない。ついでにいうと、いつも練習をしていた剣道部のスペースの向かいと斜向かいにいた新体操部と器械体操部は「こばT」と呼んでいた妹の入学する頃には存在せず、その入学一年前に彼女が属すことになるバトミントン部が誕生している。バトミントンはステージの上で平松先生を相手に、今度は俺の一個上の女の人が練習をしていた規模であるもので、その頃にはひとりしかいない。さらにいえば、たしか同級生とその下には絶えてしまっていたはずなので、その後部活になったバトミントン部とは顧問も何も関係がない。

rooney2009-07-22


先週の日曜と火曜に山を登った。それぞれ高尾山と御岳山。

高尾の駅には何度か降りたことがあるものの、高尾山口駅ははじめて。ここまで来ると山の稜を縫うように線路が大きく湾曲していて、景色が変わる。山口駅からリフトやケーブルカーの発券所まで薬王院への参道に商店があって、小川がちょろちょろ併走している。

rooney2009-07-02

●最近古書ほうろうという千駄木にある古本屋さんによく行く。夜中の十一時くらいまでやっていて、人文系の学術書から小説に写真集、漫画と民俗学関係の本までたくさんあって過ごしやすいのでとにかく最高だ。奥にはデザインや映画関係の棚の手前に椅子も置いてあって、座り読みもできる。ほんとうに至福。

 今週の火曜日だったかにこのほうろうからすぐにある、以前から気になっていたちゃんぽん屋さんに入った。少ない蛍光灯の明かりが場末感を醸すきったねー店で、アーケードのような黄色いビニールの庇が不忍通りに印象的。店の内側も外側もむき出しのコンクリートなので、土間かタタキのように店舗内が外と地続きな感じがするのがよい。暗めの室内からほとんど窓になっている通り側が目に入るように、厨房から背く。窓越しに見える家々には「これが都心の景色か」というくらい灯かりが少なくて、古い木造の民家とぼろい車庫しか見えない。ここに車線数はひとつしかない車のヘッドライトの行き交いが目の前にときどき光量を増し、流れ、ぼおーっとする。ラーメンよりもやや深めの皿によそわれたちゃんぽんを啜りながらときどき目は窓の外に奪われると、僕の感じているものがどんどん微分されていくような、微速的に引き伸ばされた引いた感じになる。

 以前沖縄で高速道路から幹線道路に下りたときにも、似たような感じを抱いたことがある。基地周辺のアメリカっぽい町並みを、車窓から見えるヘッドライトやネオンの灯かりが流れをもって、スクリーンに投影された映画のように観ているんだろうか。

コピーとハムストリングを使う

rooney2009-06-23


午後四時くらいに起きて、しばらく借りていた沖縄民謡の歌詞カードをコピーしまくる。嘉手刈(かでかる。ホントは草冠がつく)さんのライナーノーツには平岡正明が書いたりしているがつまらんのでコピーせず、大城美佐子さんのインタビューは合わせてコピー。コピー機を使いにわざわざ真砂図書館まで行くのは、他のコンビニの収入になるよりかは区に金を使おうと思うのと物置台や作業台があって使いやすいから。ホッチキスとはさみで完成。

その足で新宿ツタヤまで自転車で。腰周りに異様に汗をかく。日が暮れて気温は下がってきているのに湿度は増したよう。顔から汗がぶあっと吹き出るのを感じながらハムストリングを伸ばすことを意識して立ちこぎ。膝の上らへんのももの筋肉ばかり使いがちなので、これを意識するようになって普通のチャリでもなんとか疲れにくくなった。

台風クラブ」とカンパニー松尾の「私を女優にしてくださいAGAIN」を返却。後者はどえろの女の人がクネクネしているのでコピーした。

早稲田まですぐ引き返し、中央図書館近くのモスバーガーで友人と四時間ぐらい話す。主に地元と何すっか話。アナロジーと好奇心に任せた話の泳がせ方を二人ともするから、途中で何の話らったかやと戻ったり戻らんかったりして飽きない。いつも話し始めるとだいたい二時間は下らない。その中で面白かったのは、Kくんの自己認識が漱石の「三四郎」に出てくる脇役だってことと、三四郎のようなコミカルな感じからだんだんと深刻な人間に成長していく姿に憧れていたんだけどなれない、という話。僕はそれを粟生津に祝福されてんだいや、と言う。深刻になろうとすると目じりに皺が寄ってきて笑えてきてしまうっていう前回の話が思い出されて、そのときのKくんの顔が僕は好きなのでこっちは爆笑してしまう。

そういや数珠を持つ手がごつくて格好よかったと思った、法事で帰省したときに来ていたしんぱちさんにも目じりに深い皺が寄りまくっていた。しんぱちさんは眼窩が発達していて畑にほとんど毎日でてるから肌が常に浅黒く、表情がいつもその皺のせいで笑っているみたいに見える。それに指の軟骨が飛び出ていて関節の節々がものすごく太いので、「働きもんの手らいやー」という感じ。そういえばお経を聞いているときも正座と胡坐のスイッチが機敏というか、なんか気づかん内に変わって「あれ」と思うことが。これはいちいち気を使って「勘弁してもらって」なんて配慮が働かないからってのと、毎日身体を動かしているひとの身のこなしらんだろっか。

僕の右側には母方の祖父が座っていたのだが、おじちゃまの手は年の割りにきれい。御佛前を出すのを忘れていたり、話しかけても表情が変わるのにやや間があるので老けたんだなあ、という印象。正座していられる時間が俺よりかぜんぜん長いんだけど、胡坐に変えるときにのっそりしていた。


あ、モスからあゆみブックスを冷やかして家に帰って来るとウインブルトンがやっていた。伊達公子がすごい。アンデスインディオのように日焼けしている。伊達のプレーがすごい。無回転の低い弾道でウォズニアッキを揺さぶっている。そしてその後の解説席でのやり取りがすごい。三瓶アナウンサーに答える言葉が、自分の現在を的確に捉えた上での人に届ける言葉になっている。うーん、そして破顔一笑。いいインタビューだった。


PS 写真は岩室温泉の松ヶ岳。今週が蛍の最盛期のよう。見れていかった

十七回忌

rooney2009-06-20


祖父の十七回忌で帰省。総勢三十名を超える親戚の方たちがいらしてくれていた中、お寺様(僕の実家ではお坊さんのことを含めてこう言う)にお経をあげてもらう。おときは岩室温泉の綿屋という旅館。

鈍行で七時間かけて当日一時半過ぎに家に無事着いた。前日から寝ていなかったこともあって東三条駅を乗り過ごしそうになるが、なんとかはたと気がついて乗り換えはスムーズに。高崎線上越線信越本線弥彦線越後線を乗り継いできたが、弥彦線の高校生の柄の悪さにはちょっと異常であきれてしまった。あまりに僕が高校生のころと変わっていないわけだけど、男も女も電車を私有しているかのような我が物顔で、知恵おくれ(ことばは悪いけど・)の通勤青年が大声で笑ったり身体を振るわしている状態にすんげえ絡む。女子高生がボックス席の隣に呼んできたり、車両を隔てた戸の窓越しに「うけんだけど」とそっちの車両に連れ立って移動したり。東京の車内の干渉しなさと、比べらんないくれのこの状態に「呆れる」しか言葉がない。

岩室駅につけば、いつもの景色。ロータリーが作られてちょっと駅前に植え込みなんかが増えたけど、あんまし変わんない。国道につながる郵便局の傍の道を横断する際に会釈した瞬間、車に乗った見知った顔にすれ違った。弟の同級生でよく枝豆をくれるしょうすけさんちの、Yさんだなたぶん。

いやいや、今回の帰省で面白かったことに親戚の人達とのおもしゃい会話、それにほたるに料理に温泉にいろいろあったわけだけど、彼女の兄ちゃんにあたるHさんの雑誌の最新号を読めたのが何といってもある。LIFE−magという雑誌(HPがありました。http://www.life-mag.com/home)で、なんだか表紙はNEUTRAL(新しくTRANDITになったんだった)を意識されたんだろっかーなんて思っていたけれども、内容は市井の新潟に住む人達のインタビューだ。その紙面でハーモニカ奏者の倉井夏樹さん(弱冠はたち!)を知る。彼の家は寺泊のお寺さんで、松田幸一(アリさん)を好きだったお父様が趣味でやっていたのに影響されるかたちでハーモニカを始められたらしい。で、高校を卒業した後の彼の行動力にあごが鳴る!うぉう、なんともすごい。以下は彼のインタビューから。

●卒業後はプロを目指して動き出したんですか
倉井−小学校の卒業文集にすでにプロのハーピストになりたいって書いていましたし、卒業後は海外や関東に出たいなと思っていました。<略>アイリッシュミュージックが好きで、知人にアイルランドの学校を紹介していただいたこともあって、アイリッシュミュージックを学びに行きたかったんです。
 それでアイルランドのダブリンにあるリマリック大学のサマースクールに参加することにしました。
 ハーモニカの先生がいる訳ではなかったんですが、「とにかくアイリッシュミュージックが好きだからぜひ参加した」と学校にメールで直接交渉して、先生を探してもらいました。


●実際に現地でどんなことを感じてきましたか
倉井−日本の民謡や叙情歌の様に、アイルランドの人はアイリッシュの曲はみんなが知っているし、愛しているんだなと思いました。
 パブに行くとみんなで歌って、踊って!すごく暖かいなって感じました。
 サマースクールが終わるとアイルランドの学校で出会ったおばあさんの家にも行きました。ヌニートンに住むヴァイオリン奏者の方でした。毎日セッションです。そこでもいろんなパブを訪ねてまたセッション!
 その後、バーミンガムに行くとちょうどジャズフェスティバルが行われていて、世界で活躍されているミュージシャンの演奏を聴くことができました。
 最後にロンドンにいる知り合いの知り合いの方を訪ねていきました。和太鼓奏者の方でした。

むむ、こんなことをさらっと言ってしまう二十歳の男の人って僕の周りにいたかやー。住んでいるところの地理的な近さでなんとなく勝手に親近感を抱いてしまうのは僕がいなかもんてのもあるんだろうけど、人柄が見えるいいインタビューなんだよね実際に。新潟には「PASmagazine(パスマガ)」って雑誌があるけれども、あんまりファッションとうまい飯っていう消費に飽いてしまうと読んでて面白くないので、こういうインタビューはすっげ読みてかったんだかもしれない。新潟日報とかも好き、というか実際に高校時代の同級生やはとこが働いていたりするから親身に読めるんだけど、そういう記事からもこぼれてしまう、でも自分の周りにはいない人の言葉に結構飢えていたと気づく。これはHさんが雑誌のコンセプトでも言っていることに近いと思うんだけど、チアアップさして貰ったついでにあんまり開いていなかったおっきな口を開いたので、あんぐり顎が鳴ったのでした。

他には菊池功さんという新潟カトリック教会の司教の方のインタビュー(ガーナに八年も住まれている!)に、りゅーとぴあのプロデューサー星野睦さんのインタビューに感心しました。

PS・表紙は佐藤傳次郎さんという方が撮られた波の写真だそうです。