「闘うレヴィ=ストロース渡辺公三平凡社新書) 感想文

マルクスを熱心に読むことから活動家の道を歩み始める、レヴィ=ストロースの十代の姿は新鮮に映った。文化人類学者、構造主義の最重要人物など、知識としては彼の偉大さを知っている。そこから練られた概念の援用にもよく出くわす。だが彼の個人史は、そういったものとは違うごく個人的な語りかけをもって、同じ青年である私との出合いを設けてくれている。エコール・ノルマルへの受験を諦めながらその集団の論客を担う立場にあった彼には、すでに身近なものの覆いを見透かす視座が備わっていた。その視座は鋭いが、ただ厳しいばかりではない。デアという友の躍動的な思考と文体に惹かれている彼は、最も親しい存在への批判や交歓を通じて、離れたものを見る冷静なまなざしと、手に触れるものへの親密さを育てたのだろう。近さの覆いを見抜く「闘うレヴィ=ストロース」の、異なるものに出会うときの彼の作法には、その覆いを奪ったものへの愛に満ちている。