頭が混乱しているので、140字以上の文章を書いてみることにする。昨日、夕方五時二十分に東京に着く新幹線に揺られて、妹と小学校のときの通学班の話をしていたら、もう岩室の中学校にはすでに彼女が入学時点で剣道部の部員募集はしておらなかったようで、二年次にはなかったと言っていた。これが五年前の出来事だが、僕は十四年前剣道部に在籍していたときの記憶を頼りに、顧問の渡辺先生を引っ張り出して口にする。妹はその先生の名前が頭の中に点ったようで、そうそうその先生がもうひとみが入学時点で七年だか八年だか勤めていなくなるからもう部員は取りません、ということになったんだと、話してくれていたのだった。妹が卒業する時点では俺が知っている先生は小林という体育の教師だけになっていたが、おれがいたときとは違った「こばT」だかいう名前で呼ばれていたので、親しさはぜんぜんわかない。ついでにいうと、いつも練習をしていた剣道部のスペースの向かいと斜向かいにいた新体操部と器械体操部は「こばT」と呼んでいた妹の入学する頃には存在せず、その入学一年前に彼女が属すことになるバトミントン部が誕生している。バトミントンはステージの上で平松先生を相手に、今度は俺の一個上の女の人が練習をしていた規模であるもので、その頃にはひとりしかいない。さらにいえば、たしか同級生とその下には絶えてしまっていたはずなので、その後部活になったバトミントン部とは顧問も何も関係がない。