ヘアスタイルの相違

勝手にしやがれ [DVD]

勝手にしやがれ [DVD]

本当は「勝手にしやがれ」の方はVHSで観ているのだが、はまぞうにイメージがないのでDVDの方をリンクする。さて、この二つの映画について何がしか語ろうとすると、語り始めた途端つまらなくなってしまうという脅威に僕は直面する。なぜなら、どちらについてもいわゆる映画好きが一家言ありそうな映画だからだ。というか、語り口の新しさをごちゃごちゃ実験しなくては、何より自分が何かを語ることに飽きてしまいそうだし、以前の誰かが内容についてはきっとうまいこと言ってるんだろう。ということで、ちょうど『新潮』の福田和也×保坂和志の対談で読んだ、何かを語ることなしに小説や映画を“ただ読む・観る”という行為に準拠して、というかもろに影響されて、それでも何かを喋ろうと思う。それだけ僕の“しゃべっちょ(標準語で言えば「おしゃべり」)”としての業は、馬鹿馬鹿しく深い。

タクシードライバー

ロバート・デニーロは、この作品において−簡単に判別する限り−三つの髪型を持つ。三つのうち二つは、コーカソイド系に珍しい硬毛さと直毛さを反映した、やや頭皮より髪の毛が浮いた状態の強調されたスタイルで、長さの変化しか伴わない。彼は、頭蓋のハチ部分が張っている、短頭に特徴のある日本人にはよく見られる髪質の持ち主で、特に髪が長くなるほどに左右に頭が大きく見え、頭身が低く見える。この二つに対して、最後に売春宿を奇襲する際の髪型は、きわめて異なった印象を与えるモヒカンスタイルだ。髪をそり挙げられた、頭のセンターライン以外の部分は彼の髭剃り跡同様に青みがかっており、前述したような二例とは逆に、後頭部に大きく出っ張ったコーカソイドの特徴を大きく反映する。

彼の生活における大きな“つまずき”に基づく自己改革は、筋トレなどの身体の増強を具体的に伴うものであった。印象を違えて、奇襲の格好は、ジーンズにカーキ色の軍物のジャケットという服装に「髪型」を含めた、一つの典型例として振舞っているのだろう。

勝手にしやがれ

ジーン・セバーグの髪型は、当時の女性にしてきわめて短い。いわゆるセシル・カットか。頭皮と密着しやすく、髪が短いこともあってそれほどクセが目立たない。アウシュビッツ的ショートカットといっても別にいいけど、1959年とはそういう連想の終わった時代でもあるんだろう。つむじの周辺に幾本が稀に立つ髪の毛は、オタク用語でいう「アホ毛東浩紀に習えば「萌え要素」の一つといえる)」を連想させる。

ジャン・ポール・ベルモントの髪質は典型的な波状毛。白黒で分かりにくいが、その画からも柔らかそうな栗色だと分かる。フォーマルなハットをかぶったりしたときに、うまく映える長さになっている。